syuuが誕生した日
そして、seriがおねえちゃんになった

こちらは、3歳のseriと、
出産10日前の私です。
先に言っておきますが、
中身は、本物のお腹だよ!!
決して、スイカや
ビーチボールじゃないです(笑)
腹囲、99センチのお腹です。

2人目の子供を妊娠したとわかり、1番気がかりだったのはやはり、入院したらどうしようと言う事。

今度は私だけの問題ではありません。まだ、3歳にならない娘がいるのです。

私は思い切って先生に相談し、出産予定から半年も前に、里帰りをする決意をしました。

実家にいれば、もし、入院したとしても娘は1人になる事はない。。。その想いだけでした。

私が実家に帰る事が、もしもの時にまわりにかける迷惑が1番少ないのは事実でしたから。

そして、それが許される環境にあった事をとても幸せな事だったと。。。今でも皆様に感謝しています。


出産予定日は1月3日。

でも、今年中に生まれると確信はあった。

だから、クリスマスケーキも、主人が休みで来ていた23日に食べ、

娘にもお父さんと一緒のクリスマス気分を味あわせてあげました。


そして、24日。。。検診の日。

私は先生にお願いしようと思っていた。

もし、陣痛が来なくても、年内に産んで、家でお正月を迎えられるようにしてほしいと。。。

どうやって切り出そうかと思い悩んでいたのですが、

そんな心配は不必要だった。

「内診の結果、もう、すでに子宮口は3cm開いている。(この言葉に実は私はあまり驚かなかった。だって、娘の時は、8ヶ月から3cmだったのだから)

陣痛がないまでも、もう、お産が始まってるとみなしていいだろう。今夜から入院して、もし、陣痛が来なくても薬で生みましょうか?」

先生の口から先に、その言葉が出たので、私は即答していました。

「はい、お願します。」

「今、産んでしまえば、お正月には家に帰れますよ。」

やっぱり、先生もお正月は少しくらい、ゆっくりしたいですよね(笑)

それから、1度実家に戻り、入院準備を整えて、夕方、病院へ向かいました。


自分がこれからお産をするというのに、気がかりなのは娘の事ばかり。

初めて私から離れるようなものなんです。

お父さんもいないし、たとえ、半年一緒に暮らしたとしても、ばあちゃんだけで、大丈夫だろうか。。。

病院で別れた時はあっさりでした。この調子なら大丈夫か???

でも、不安になり、夜、電話を入れると、側で娘の大泣きしている声!!

ばあちゃんもおろおろしています。

暗くなってきたら、心細くなったらしく、それから泣き出したとか。

これは、私の声を聞かせるのは逆効果だと思い、そのまま、電話を切りました。

それから、娘は散々泣いて、病院に行こうを繰り返したらしいのですが、

「ばあちゃん、暗くなったから運転できないんだよ。じいちゃんが帰ってきたらお願いしてみようね。」

となだめ、落ち着かせたらしい。

帰ってきたじいちゃんにも病院に行こうを繰り返したらしいが、

「じいちゃん、ビール飲んじゃったから、ちょっと寝ないと運転できないよ。せりなが少し寝たら、いっしょに行こうね。」

とようやく布団に入れたらしいのです。誰に似たのか、言い出したら聞かない。。。(-"-;A ...アセアセ

その頃、私は、空き部屋がなかったお陰で特別に通常料金で入る事が出来た特別個室でくつろいでいました。

トイレつきの広い個室でした。

でも、娘の事が気がかりで、クリスマスイブの特別番組さえ、見る事もなく、テレビを消して寝てしまいました。


そんな夜中の出来事。。。

なんだか下着が冷たい事に気付き、目覚めた。

破水??でも、トイレに行ってみてもそれ以上漏れてくる気配はない。。。

とりあえず、下着を替え、また、寝ました。

病院にいるという安心感がそこにはありました。

ところが、寝付いてすぐに、激しいお腹の痛みで目覚めたのです。

来た〜〜!!と思い、ナースコール。

看護婦さんがモニターをつける準備をしている間にも、陣痛の波は襲ってくる。。。

「すぐに、あっち(分娩室)に移動した方がいいかもね。」

そのまま、歩いて分娩室へ。。。

県立病院とは大違いの、立派な分娩室。

ちゃんとしたベッドに寝せられて、モニターをつけました。

「分娩台は、あっちなのかな?」

痛みの合間にそんな事を思っていました。

3分になったら教えてといわれたが、その時すでに3分でした。

呼び出されてやってきた先生も、ビックリしている様子。

実は先生、私の為に呼び出されたのではなく、別の方の呼び出しで来ていたのでした。

でも、その方の内診も助産婦さんに任せ、私の方の準備を始めました。

えっ!!もう、産まれるの??

だって、さっき、陣痛が始まったばかり。。。

分娩台に移動。。。かと思ったら、ベッドが動き出し、分娩台へと変形したのです。

そんなことに感動してた私、やっぱり、どこかで冷静な部分があったのね。

「さあ、産みましょうね!」

先生に気合を入れられ、思いっきりいきんだ。

でも、何度いきんでも出てこない!!

「頭が上手く回転していないから上手に出て来れないみたいだ。ちょっと、バキュームかけるからね。」

そういった途端、大きなモーター音。

その音とともにいきんで、やっと、出てきた我が子でした。。。

すごく大きな声でないています。

体重3770g!看護婦さんの声に驚き、そして、そのまま、眠りにつきました。


その夜は、3人もの出産があり、とても大変だったらしいです。

そのお陰で、私は、子供の顔を見せてもらえなかったのですが、

それに気付いたのは、一眠りした後でした。

目覚めると、両親と娘が来ていました。

主人からの連絡ですぐに駆けつけたというのに、まさか、もう産まれてるなんて夢にも思わなかったそうです。

それもそのはず、分娩所要時間、1時間30分。

先生にもビックリされた早業でしたから。

その後、駆けつけた主人もびっくりでした。


息子の誕生日は、12月25日。

クリスマスの贈り物でした。

実は、私の父、つまり、じいちゃんもクリスマス生まれ。

半年もお世話になった御礼でしょうか?

日付が変わったとたんに産まれてきた息子。

最初のじいちゃん孝行でした。


その後、赤ちゃんと同室になってからもばあちゃんと娘は毎日来てくれました。

でも、娘はあっさりと帰っていってしまいます。

ベッドに寝ている私を何となく違うように思えていたのでしょうか?

でも、さみしいよ〜〜。

そんなに、あっさり離れないでよ。。。

少しだけ、お姉ちゃんになった娘は、その後、見事に私を悩ませてくれました。

やっぱり、お姉ちゃんになるのは簡単な事ではないんでしょうね。

そのお話は、また、後で。。。




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